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SIMPLE LIFE WITH CATS

足もとに咲く花

予期せぬこたえ

雑考 読書

こんばんは。

昨夜は、不思議なことがあって、眠るのが遅くなりました。

寝床に入って、読みかけの本を広げたら、「霧」やら「霞」やらの文字が、目に飛び込んできたからです。えっ???と思って、目をこすって読んでみると、まさに前回、話題にしていた、霧と靄(もや)についてだったのです。目が覚めました。

たまには、そういう偶然ってあるものですね。

 読みかけの本は、村上春樹さんの『やがて哀しき外国語』です。 

mistというのは、「薄霧」或いは「靄」と辞書にはある。fogよりは淡く、hazeよりは濃いのがmistである。ただこれは夕暮れの都会の話なので、やはり、夕霧というよりは夕靄という方がぴったり来るのではあるまいかと僕は思う。

(『やがて哀しき外国語』村上春樹

吉行淳之介の作品の英訳版を、日本人の学生に、日本語に訳してもらったことがあるそうです。その時の感想です。(うーん、通じていますか?ややこしくてすみません)

文中の「mist」を、全員が、「霧(きり)」と、訳しました。しかし、村上氏は、靄(もや)の方がぴったりくるのでは?と意見しています。実際、原文では、靄(もや)と記述しています。mist=なんでも「霧(きり)」にしないで、他の候補についても考えてみようってことですね。

原文は、吉行淳之介の『木々は緑か』という作品です。橋の上から日暮れの街を眺めたら、「街は、靄のようなものの中に半ば沈んでいた。」そこから二つの感情が溢れだしてくる、というシーンでした。 

また、はこうも述べられています。

おそらく自然に対する旧来の日本人的な(花鳥風月的な)メンタリティーみたいなものは、これからますます変質し、失われていくのではないだろうか。都会生活では霧と靄の区別なんてまずかんがえることはないから。これはまあしかたないだろうと気がするけれど。

(『やがて哀しき外国語』村上春樹

 さびしいことですが、いくつもの言葉が時代とともに失われています。そして人はそういうことには無関心で、誰かに言われてはじめて(そういえばそうだな)と気づきます。

突然に表れたものにはみんなおもしろがって飛びつきますが、音も立てずに徐々に消えていくものには、みんな無関心なのです・・・。あ、これブログと似てますね。

そのことについては、もう少し書きたいことがありますが、長くなりますので、またにしたいと思います。

おやすみなさい。